植酸栽培コシヒカリ「伝」
植酸栽培との出会い

 

お米の一粒一粒が、しっかりと「個」を主張しながらも、口のなかでふんわりとほどけていく・・・「えっ、なにこれ!」思わず叫んでしまった。かやもり農園を訪れ、囲炉裏の前でいただいたおにぎり、その衝撃の美味しさを、今も覚えている。

 「お米の表面の張り、弾力が違うんですよね。一粒ずつがハッキリしていて、それで後味がいい。炊いたときに既に違いがわかります。これが植酸栽培コシヒカリ「伝」の特徴なんです。」かやもり農園の主、萱森教之さんはそう語る。300年以上前、江戸時代から続く農家の11代目。美味しくて安全なお米作りを模索・実践して、30年以上になるという教之さんに、お話を伺った。

 教之さんが、植酸栽培と出会ったのは、90年代初め頃。早い時期に有機農法に着目し、勉強しながら試みてきたこともあり、稙酸栽培については半信半疑だった。「だまされたと思って」、植酸液体けい酸加里を試用してみる。1週間後、稲の根っこを掘り起こしてみて、驚く。有機栽培(たい肥)で育てた稲と比較し、明らかな差が見られたのだ。「まさに理想の根のかたちだ」。そして、収穫したお米の味の良さにも感嘆する。教之さんが、有機栽培から植酸栽培に切り替えるのに、時間はかからなかった。

 植酸栽培は1年目から手ごたえを感じたそうだが、いろいろな使い方を試してみて、はっきりその効果を感じたのは5年目だという。これを、教之さんは「稲の環境が変わった」と表現する。植酸により、土壌が浄化され活性化されることで、稲本来の生命力が発動したのだ、と。

 さらに、植酸コーゲンG、植酸ケイ酸カリ、植酸ブロートF、PKマグなどを使いながら、意外な効果も発見する。

「植酸ブロートFは、本当の意味での土壌改良剤。地中深い部分の土を取り出しても、ヘドロ臭等がまったくしない。土づくり、稲の環境づくりとして間違いないと思います。」

「農薬に頼らずに、植酸コーゲンGで解決できるシーンが多い。種もみも、250倍液に二日漬けるという方法で、稲の成長力の勢いが増すんですよね。
さらに、稲自体の免疫力が活性されるのも感じます。殺菌効果も高いなと。」
「植酸液体けい酸加里で、いもち病の浸食が止まったり、カメムシの被害が軽減したりということもありました。父親は50種類以上の野菜を栽培していますが、そこでも、植酸を導入することで、減農薬栽培につながっています。」

 話していると、気さくでよく笑い、飄々としたイメージの教之さんだが、彼の人生がとにかく面白い。高校を出たあと、農家を継ぐのがイヤでたまらなかったというのである。「農業大学の受験の際も、回答用紙を白紙で出しました」。しぶしぶと農業の勉強を始めるも、農閑期(冬季)はじっとしていられない。六本木のディスコのウエイター、さらに二十歳の頃には世界に飛び出していく。行き先は、アメリカ大陸である。当時の海外貧乏旅は、スリルと冒険に満ちていた。「海外体験で、ある意味度胸がついたかな」と、教之さんは笑う。米作りと海外放浪は、まるで正反対の行為のようだが、これがしっかりとつながっていくんだなと感じたのは、それからの教之さんの生き様、人生談である。

 1998年に長女が誕生。これを機に、教之さんは「こどもたちにとって安全で安心な食」に目線が向いていく。生産者の立場から、どのように安全な食べ物を知ってもらい、「本物」を味わってもらうのか・・・。

 そこで、思いついたのが、移動販売車でのおにぎり販売だ。周囲の反対を押し切って、奥様(裕子さん)の協力と理解のもと、おにぎり屋は大地を駆ける。

そして、子ども連れの家族の圧倒的な支持を得るのだ。かやもり農園のおにぎりは、子どもたちの正直な舌と胃袋をしっかりとつかんだ。

 手ごたえを感じた教之さんは、止まらない。2002年には東京に進出。赤坂に「株式会社 伝」を設立。NHKをはじめテレビ番組にも多数出演し、「ごはん炊き名人」「おむすびの先生」として有名になっていく。全国おにぎり屋ランキングでは、断トツの1位。「分とく山」の料理人野崎洋光氏、様々な分野で活躍する人たちとの繋がり、そして中越地震でのボランティア活動等、「すべてがありがたく、貴重な体験」と教之さんは当時を振り返る。

 転機は、2017年に訪れた。ステージを、東京から、新潟の「かやもり農園」自体に移すことに決めたのだ。なんとも潔い英断!「本当に自分が提供したいものを、現地で味わってもらう」というコンセプトのもと、また新たな取り組みを始める。そのひとつが、「加茂農泊推進協議会」だ。農業体験やイベント、美味しいお料理、加茂の自然、生きものたち、土、空気・・・様々なものたちがつながりあう「場(field)」をまるごと味わう。それは、かけがえのない体験になるだろうと想像する。

 目の前の教之さんは、声高に理念を語ったりはしない。「安全」「安心」「美味しい」「お客さんに喜んでもらう」という、きわめてシンプルな言葉が繰り返し出てくる。ただ、その根底には、「稲本来の生命力を尊重する」という言葉に象徴される優しい視点と、未来を担う子どもたちへの真摯な想いが緩やかに流れているのを感じるのだ。

 そして、大胆な勝負師のような、鮮やかな決断力やアイデア。一歩を踏み出す勇気。「いまここ」で、「若い頃世界を歩き駆け回った」実体験が生きているのではないだろうか。

 コロナや米価下落などの影響は、かやもり農園も受けている。だが、教之さんは、そこに屈していない。「喜んでもらえて、他にないもの、新しい商品や方法づくりを考えている」と朗らかだ。

 教之さんのフロンティアスピリット(開拓精神)は、不滅なのだった。
そして今日も、植酸栽培コシヒカリ「伝」は、全国の食卓にのぼり、誰かの心を身体を細胞を元気にしている。