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  • 青森のりんご農家を訪ねて

    弘前市、鯵ヶ沢町、三戸郡のりんご農家を訪ねて

    「一日一個のリンゴは、医者を遠ざける」という諺がある。リンゴは、わたしたちの食卓を彩るだけでなく、健康をしっかりと支えてくれる頼もしい果物である。紀元前から、ヨーロッパではリンゴを栽培していたのではないかという説もある。旧約聖書の中にもアダムとイブの「禁断の果実」として登場するし、ニュートンが万有引力の法則を発見するもとになったのもリンゴである。歴史的に、人類と切っても切れない関係にある存在である「フルーツの王様」。そんなリンゴを大切に育んでいる農家の皆さんを訪ねた。

     場所は青森県。全国のリンゴの約60%を生産している県だが、そのなかでも、リンゴの産地として名高いのが弘前およびその周辺地域である。

     弘前~鯵ヶ沢地区のリンゴ農家さんを案内してくださるのは、弊社と長いお付き合いのある(株)町田アンド町田商会板柳営業所の永山さん。明治10年に創業して以来、肥料や農業資材の販売を通して、農家さんたちに寄り添い貢献してきた老舗の会社である。

     9月初旬。青い空が眩しい。街の光景から、やがて一面の果樹園に景色が変わる。リンゴの木たちが一斉にむかえてくれるような、独特の風景である。 

     最初にお会いしたのは、下山良博さん。1町(1ヘクタール)もの広さの土地でリンゴの栽培を行っているベテランの農家さんだ。品種や木1本ずつの個性によるのか、果実たちは様々な色合いを見せ、それがグラデーションのように美しい。見とれていると、「どうぞ食べてください」と勧められた。遠慮なく、そっともぎ取って1個いただく。口の中に広がるみずみずしさと、鼻腔に抜ける爽やかな香りは、まさに大地の贈り物、そして下山さんが丹念に手をかけて育てた愛情の証のように感じた。

      「6月初め頃に、ゼリータイドを根元に10ℓぐらいかけるんです。これは、つる割れ防止になる。」「葉面散布は、PKを500倍に薄めて2回、ビターピット(Ca欠乏)を8割ぐらい抑えられます。」「コーゲンGは、酸化防止になる。カットしたリンゴも茶色くならないんですよ。」「8月には、ケイ酸カリを500倍で葉面散布します。」「055を使うのは、色付けとしてはさいごのほうがいいね。紅葉より速い。著色一発剤を500倍で使うと、きれいに色が載って見た目も凄く良いよ」等々、長年の経験や実績をもとに、さまざまな工夫を凝らしながら、下山さん達はリンゴと向き合っている。

    さらに、次に向かったのは、下山隆さんの農園。ここでは、リンゴの木の根元近くに、ひょっこりと小さなカエルが可愛い姿を見せてくれた。

     

     弘前から車で1時間弱。永山さんの安全運転で向かったのは、鯵ヶ沢町である。            
    日本海に面する鯵ヶ沢町は、イカやヒラメなどの海産物も、スイカやメロン、そしてリンゴも特産品だ。(以前は、ワサオという秋田犬が映画にもなるほどの人気になったが、今は他界して銅像にもなっている。)

     鯵ヶ沢町のリンゴ農家さんは4軒、おじゃました。苗字が、まさかの全員「神」さん。もちろん、親族ではない。集落に多い苗字なのだという。

     鯵ヶ沢は、弘前と気候も土壌も違う。なので、肥料や資材の使い方も、それぞれ別の工夫があるようだった。

     「霜にやられてしまうので、1番最初の花の咲きはじめに、コーゲン055とブドウ糖をかけないといけないんです。」「PKは1ℓでずっとかけているなあ。8月は2ℓ。」複数の方々で作業をすすめながら、神武美さんは語ってくださった。

     神浩二さんのところでは、今までお目にかかったことのないリンゴと対面。

    千雪(ちゆき)」という品種で、糖度が高く酸味が少ないそうだ。まだ若い浩二さんであるが、様々な種類のリンゴを栽培している。植物園にいるような楽しい気持ちになった、というと不謹慎かもしれないが、リンゴの多様さにあらためて感心してしまう。

     神晴幸さんは、缶詰やジュース等に使う加工用のリンゴも栽培している。「紅玉は今月末に収穫なんですが、1日1人30箱ぐらい採っても間に合わないぐらいです。」広大な敷地をまわりながら、元気のないリンゴの木たちにも出会う。

    紋羽病ですね、これは厄介なんですよ。」と永山さん。果樹を育てるのには、さまざまな病害とも闘わなくてはいけない。課題はまだまだ多い。

     鏡堂明さんの果樹園では、王林の収穫作業が行われていた。「王林が終わったら、次はふじだね。」赤い丸々とした果実が、青空のもとで煌々と輝いている様は、見事の一言である。そして、ふと、横を見たときに思わず声をあげた。

    すごいセミの抜け殻の数!セミたちの命も育んだリンゴの木と土地を想い、妙に感慨深くなっていた。

     

     青森県内では、他地域でもリンゴの栽培は盛んである。三戸郡で果樹園を営む留目健樹さんとお会いした。元気いっぱいで、研究熱心な39歳である。

    留目さんは、みちのく松善という別の販売店から長年植酸資材を購入している。

    グリコーカルブロートFを混ぜた物を元肥として樹元に撒いて、水を欲しがる花の時期や夏場の乾燥する時期などに、液体ケイ酸加里を水で薄めたものを樹元に灌水してます!そうしていたら紋羽病がかなり少なくなったしりんごがおいしくなりました。」            
    「あと、つがるだけではなく全ての品種で収穫が近づいてきたら055で窒素を抑えて、PKマグで色づきを促進している用な感じです。」

    「それ以外でも<植物が今何を必要としているか>に合わせて植酸資材を投入してます。」「実を切って長時間置いても酸化褐変しにくく抗酸化作用のある果物になってきました。」

      農業とはそもそも人の手がかかっているものである。「人工」でありながら、そこからどう自然の力を引き出すのか、というのが、留目さんのチャレンジであり哲学だ。

     さらには、植物の生理生態を知るための勉強会や、第五次産業の提案なども語ってくださった。「これから、農業人口はどんどん減っていくでしょう。若い人に渡していけるような、そして関心を持って取り組んでもらえるようなものにしていかなくちゃね!」とも。

     「「贈られたお客さんがおいしいから私も誰かに贈りたいという声が増えてきました。また家族内でのがりんごの消費が倍増しました!」

     後日、留目さんのリンゴを送っていただいたのだが、蜜がたっぷりと甘くて、 とても美味しかったのを付記しておく。

     

     2022年9月初旬の青森訪問であったが、30℃近い気温を記録し、さらに日差しが強かった。この1か月前には、弘前地方は大きな水害に見舞われた。最初にご紹介した下山さんの果樹園も、半分近い4反のリンゴが被害を受けた。しかし、お会いしたときには、朗らかな笑顔を見せてくださった。農家さんの静かな覚悟のようなものを感じた。

     近年の気候変動は著しい。その対応も重要な課題になっている。肥料の使い方も変えて工夫していくことを念頭に置かなくては、と複数の農家さんが言われている。

     どんな状況に見舞われても置かれても、粛々と今できることを行い、植物や土壌と向き合っていくことが現在問われているのかもしれない。

     リンゴ農家さんたちの姿を見ながら、そんなことを想った青森行だった。            

     

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  • 庄内植酸会を訪ねて

    山形県酒田市・庄内地方の植酸会を訪ねて

     山形県の北西部に位置する庄内地方は、山々と日本海に囲まれ抱かれた、歴史ある文化的な地である。訪れたのは、8月半ば。青空と山の稜線の境目がくっきりとして、眩しい。そして、その中でひときわ目立つのが緑をたっぷりと含んだ平野部だ。空高く舞うツバメやとんぼたち。揺れる稲たち、青々と育つ野菜たち。その景色は、まさに日本の原風景と言いきれるような美しさに満ちている。

    "この風景の重要な構成員である稲や野菜たちは、いうまでもなくわたしたちの食卓にのぼり口に運ばれるのだが、その美味しさや安全性を長年追求してきた人々がいる。「庄内植酸会」の皆さんだ。  「植酸農法と出会ってから、もう30年以上になりますかね」。"

     この風景の重要な構成員である稲や野菜たちは、いうまでもなくわたしたちの食卓にのぼり口に運ばれるのだが、その美味しさや安全性を長年追求してきた人々がいる。「庄内植酸会」の皆さんだ。
     「植酸農法と出会ってから、もう30年以上になりますかね」。酒田市の肥料商「(有)佐藤長蔵商店」の代表取締役を務める坪池兵一さんは語る。「各種野菜や米、果物、園芸などでも研究を重ねてきましたが、野菜はやはり肥料や土壌改良剤の効果・成果が見えるのが早い気がします」。(有)佐藤長蔵商店は、地域に根差した老舗の肥料商で、自然環境と農作物双方の健康に着目してきた。
    先代の代表・佐藤慶治郎氏が、弊社の創業者である増田俊雄と出会い、植酸に関する理念に魅せられ意気投合、植酸肥料の普及に尽力するようになって40年を超える。

    "酒田市の肥料商「(有)佐藤長蔵商店」の代表取締役を務める坪池兵一さんは語る。「各種野菜や米、果物、園芸などでも研究を重ねてきましたが、野菜はやはり肥料や土壌改良剤の効果・成果が見えるのが早い気がします」。(有)佐藤長蔵商店は、地域に根差した老舗の肥料商で、自然環境と農作物双方の健康に着目してきた。"

     そして「庄内植酸会」は、兵一さんをはじめとする有志で立ち上げられ、今に至る。野菜農家さんが多いのが特徴だ。庄内地方は、日本有数の穀倉地帯として知られるが、様々な種類の野菜も全国に出荷されている。そして、庄内植酸会の野菜の美味しさ・安全性は、地産地消のイタリアンで知られる「アルケッチァーノ」にも認められ、もう20年のお付き合いになるという。
     今回、その「アルケッチァーノ」本店において、庄内植酸会の皆さんと会食をしながら、肥料の使い方と農業について意見交換する機会があった。

    "「庄内植酸会」は、兵一さんをはじめとする有志で立ち上げられ、今に至る。野菜農家さんが多いのが特徴だ。庄内地方は、日本有数の穀倉地帯として知られるが、様々な種類の野菜も全国に出荷されている。そして、庄内植酸会の野菜の美味しさ・安全性は、地産地消のイタリアンで知られる「アルケッチァーノ」にも認められ、もう20年のお付き合いになるという"

    "「アルケッチァーノ」本店において、庄内植酸会の皆さんと会食をしながら、肥料の使い方と農業について意見交換する機会があった。"

     「コーゲンGは育苗のときには250倍までOKだというけれど、葉物では
    何倍ぐらいが良いんだろう?」「葉物は500倍までが限度かなあ。300倍では濃いよね。」「葉面散布は夕方にするのがいいというのは理由があって、光合成との関係があるから。」「植物が生きている証拠だねー。」
    ゼリータイドの葉面散布は勧めていないんだ。葉っぱに白く残ってしまう場合があるから。」「そういえば、地元では育苗箱が誰のものか分からなくなってしまうことがあるんだけど、コーゲンGはカビが生えるのを防ぐ効果があるような気がする。」「ケイ酸は高温障害に効くというデータが出てきてるね。」「高温障害についても、野菜自身が健康だとダメージを受けにくい。」等々、話は尽きず、しかしナイフとフォークも止まることがない。地元食材をふんだんに使った美味しいお料理に舌鼓を打ちながら、各人の声帯も同時に活躍するというなんとも賑やかで実りある会食となった。

     会議場は、レストランから、皆さんのfieldである「農園」へと移行する。
    佐藤静雄さんのナス栽培のビニールハウス。その日の分の収穫が終わった後だったが、残っているナスを生のまま試食させていただく。みずみずしくて、そしてえぐみが殆どなく、さらに甘いのだ。Lサイズの大きなナスである。デパートなどにも依頼されて卸している、立派な風貌と味だ。「シュウ酸が多いとアクのもとになるんだよね。それは土壌の環境による。土が如何に大事かということ、ここでもわかりますよね。」静雄さんがナスを育てるのに使っているのは、植酸資材全般。特に今は欠かせないのは植酸PKマグ植酸ゼリータイド。「俺の所、砂丘地で肥料が下に流れ出てもったいないけれど、液肥を施用して先に根から養分吸われて、後から玉肥やってゆっくり吸わせるようにしている。」植酸資材はナス育成の相棒である。ユーモラスで親しみやすい静雄さんだが、毎日の収穫時は一仕事である。奥様の袋詰めの速さと的確さはまさにプロ、とみんなが口をそろえる。様々な作業を経て、このナスたちは旅立っていく。

    "皆さんのfieldである「農園」へと移行する。 佐藤静雄さんのナス栽培のビニールハウス。その日の分の収穫が終わった後だったが、残っているナスを生のまま試食させていただく。みずみずしくて、そしてえぐみが殆どなく、さらに甘いのだ。Lサイズの大きなナスである。デパートなどにも依頼されて卸している、立派な風貌と味だ。"

    "「シュウ酸が多いとアクのもとになるんだよね。それは土壌の環境による。土が如何に大事かということ、ここでもわかりますよね。」静雄さんがナスを育てるのに使っているのは、植酸資材全般。特に今は欠かせないのは植酸PKマグと植酸ゼリータイド。"

    "植酸資材はナス育成の相棒である。ユーモラスで親しみやすい静雄さんだが、毎日の収穫時は一仕事である。奥様の袋詰めの速さと的確さはまさにプロ、とみんなが口をそろえる。様々な作業を経て、このナスたちは旅立っていく。"

     坪池豊さんのミニトマトのハウスは、色とりどりの小さな楽園のようなのだった。「どんどん採って食べてくださいね」と優しい笑顔の豊さん。ミニトマトにも様々な種類がある。小ぶりで締まったもの、長細いもの、黄色いもの等々。遠慮なく味比べをさせて頂くと、その味の違いにあらためて気付く。「黄色いのはあまり人気がないんだよね」と豊さんはおっしゃるが、食べると驚くほど甘く癖がない。ここでは植酸コーゲンGを始めとして植酸資材が、ひそかに活躍している。根を守ってくれる資材だから、ミニトマトが肥料養分を素直に吸収してくれて、甘みが強くなる等の効果がみられるという。豊さんには、袋いっぱいにミニトマトをいただいた。袋を開けると、宝石のようにトマトたちが輝いていた。

    "坪池豊さんのミニトマトのハウスは、色とりどりの小さな楽園のようなのだった。「どんどん採って食べてくださいね」と優しい笑顔の豊さん。ミニトマトにも様々な種類がある。小ぶりで締まったもの、長細いもの、黄色いもの等々。"

    "遠慮なく味比べをさせて頂くと、その味の違いにあらためて気付く。「黄色いのはあまり人気がないんだよね」と豊さんはおっしゃるが、食べると驚くほど甘く癖がない。ここでは植酸コーゲンGを始めとして植酸資材が、ひそかに活躍している。"

    "根を守ってくれる資材だから、ミニトマトが肥料養分を素直に吸収してくれて、甘みが強くなる等の効果がみられるという。豊さんには、袋いっぱいにミニトマトをいただいた。袋を開けると、宝石のようにトマトたちが輝いていた。"

     比較的年齢層の高めな庄内植酸会であるが、ここで平均年齢をぐっと下げる農家さん登場。川村拓真さん、20代の専業農家である。地元の農業高校・農業大学校、1年間のオランダ研修を経て、就農6年目という拓真さんは、ミニトマトをはじめ野菜の栽培に取り組んでいる。「オランダの研修先は、高さが5~7m程あるガラスハウスで、中玉トマトを8ha栽培しているという会社でした。生育環境の調整や栽培技術、仕事への向き合い方など、現地の人たちと暮らす中で学び、活かせるところは工夫して実践しているところです。」最初の1年目は農協を介しての出荷だったが、そこから庄内植酸会と出逢い、独自のスタイルを追求している期待の若手である。
    「土壌改良でブロートFを散布し、ゼリータイドPKマグで生育を促しつつ、コーゲンGやイオンカルシウムで作物の生理循環を整え、液体けい酸加里で根を強化しているというイメージです」と、拓真さん。「美味しい野菜を追求していく中で品種の選定も重要だと思うのですが、以前はうまく栽培できなかった品種も、肥料を工夫するようになってから生育が上手く進むようになり、栽培できる野菜の幅が広がったという実感があります。」
     日本のこれからの農業について、どのような展望を持っているのか、ということについても若い拓真さんに伺ってみた。今、日本は第一次産業の在り方が問われている重要なターニングポイントにあると感じているので。
    「地域で助け合いながら、技術の継承があったり、土地の特性や疑問点などを聞ける機会がある。効率化や集約化が進むなかでも、強引には解決できない課題が出てくるとき、お互いの関係性を築いておくことは重要だと感じています。」「日本の農業は、かなりの部分で『自然と共に』作物をつくることが多いと思うんです。地域を活かしながら、それぞれに合った作物を、技術を模索しながら栽培していく、それが日本の農業の発展につながっていくのではないかと思います」。
     庄内植酸会の先輩たちのアドバイス等も受けながら、日々トライをし続ける拓真さんの姿は、これからの農を担っていく頼もしさのようなものを感じた。

    " 比較的年齢層の高めな庄内植酸会であるが、ここで平均年齢をぐっと下げる農家さん登場。川村拓真さん、20代の専業農家である。地元の農業高校・農業大学校、1年間のオランダ研修を経て、就農6年目という拓真さんは、ミニトマトをはじめ野菜の栽培に取り組んでいる。"

    "「土壌改良でブロートFを散布し、ゼリータイドとPKマグで生育を促しつつ、コーゲンGやイオンカルシウムで作物の生理循環を整え、液体けい酸加里で根を強化しているというイメージです」と、拓真さん。「美味しい野菜を追求していく中で品種の選定も重要だと思うのですが、以前はうまく栽培できなかった品種も、肥料を工夫するようになってから生育が上手く進むようになり、栽培できる野菜の幅が広がったという実感があります。」"

     世代を越えて、美味しさや安全性、さらには地球環境という大きな課題もプラスされて、庄内での農業は受け継がれていく。
     「赤潮は陸上の環境が大きな引き金となっている問題ですよね」と兵一さん。「生活・工業排水だけでなく、一部化学肥料の誤った形での大量投入なども原因となっている。自然の原理というものにもう一度人は目を向ける必要がありますよね」とも。
     健康な土壌から健康な野菜や穀物が育つ。そしてそこでは多様なちいさな生物が豊かな世界を築いていく。日本の原風景は、郷愁を誘う過去の遺物ではなく、現在進行形、まさに生きているからこそ美しいのだろう。「里」における「農」という生業が、すこやかに継続されていくように、「里」を含めた豊かな生態系が、未来へバトンタッチされていくように。祈るような気持ちで現地を後にした。

    " 「赤潮は陸上の環境が大きな引き金となっている問題ですよね」と兵一さん。「生活・工業排水だけでなく、一部化学肥料の誤った形での大量投入なども原因となっている。自然の原理というものにもう一度人は目を向ける必要がありますよね」とも。"

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  • 植酸栽培コシヒカリ「伝」

    植酸栽培との出会い

    お米の一粒一粒が、しっかりと「個」を主張しながらも、口のなかでふんわりとほどけていく・・・「えっ、なにこれ!」思わず叫んでしまった。かやもり農園を訪れ、囲炉裏の前でいただいたおにぎり、その衝撃の美味しさを、今も覚えている。

     「お米の表面の張り、弾力が違うんですよね。一粒ずつがハッキリしていて、それで後味がいい。炊いたときに既に違いがわかります。これが植酸栽培コシヒカリ「伝」の特徴なんです。」かやもり農園の主、萱森教之さんはそう語る。300年以上前、江戸時代から続く農家の11代目。美味しくて安全なお米作りを模索・実践して、30年以上になるという教之さんに、お話を伺った。

     教之さんが、植酸栽培と出会ったのは、90年代初め頃。早い時期に有機農法に着目し、勉強しながら試みてきたこともあり、稙酸栽培については半信半疑だった。「だまされたと思って」、植酸液体けい酸加里を試用してみる。1週間後、稲の根っこを掘り起こしてみて、驚く。有機栽培(たい肥)で育てた稲と比較し、明らかな差が見られたのだ。「まさに理想の根のかたちだ」。そして、収穫したお米の味の良さにも感嘆する。教之さんが、有機栽培から植酸栽培に切り替えるのに、時間はかからなかった。

     植酸栽培は1年目から手ごたえを感じたそうだが、いろいろな使い方を試してみて、はっきりその効果を感じたのは5年目だという。これを、教之さんは「稲の環境が変わった」と表現する。植酸により、土壌が浄化され活性化されることで、稲本来の生命力が発動したのだ、と。

     さらに、植酸コーゲンG植酸ケイ酸カリ植酸ブロートFPKマグなどを使いながら、意外な効果も発見する。

    植酸ブロートFは、本当の意味での土壌改良剤。地中深い部分の土を取り出しても、ヘドロ臭等がまったくしない。土づくり、稲の環境づくりとして間違いないと思います。」

    「農薬に頼らずに、植酸コーゲンGで解決できるシーンが多い。種もみも、250倍液に二日漬けるという方法で、稲の成長力の勢いが増すんですよね。
    さらに、稲自体の免疫力が活性されるのも感じます。殺菌効果も高いなと。」
    植酸液体けい酸加里で、いもち病の浸食が止まったり、カメムシの被害が軽減したりということもありました。父親は50種類以上の野菜を栽培していますが、そこでも、植酸を導入することで、減農薬栽培につながっています。」

     話していると、気さくでよく笑い、飄々としたイメージの教之さんだが、彼の人生がとにかく面白い。高校を出たあと、農家を継ぐのがイヤでたまらなかったというのである。「農業大学の受験の際も、回答用紙を白紙で出しました」。しぶしぶと農業の勉強を始めるも、農閑期(冬季)はじっとしていられない。六本木のディスコのウエイター、さらに二十歳の頃には世界に飛び出していく。行き先は、アメリカ大陸である。当時の海外貧乏旅は、スリルと冒険に満ちていた。「海外体験で、ある意味度胸がついたかな」と、教之さんは笑う。米作りと海外放浪は、まるで正反対の行為のようだが、これがしっかりとつながっていくんだなと感じたのは、それからの教之さんの生き様、人生談である。

     1998年に長女が誕生。これを機に、教之さんは「こどもたちにとって安全で安心な食」に目線が向いていく。生産者の立場から、どのように安全な食べ物を知ってもらい、「本物」を味わってもらうのか・・・。

     そこで、思いついたのが、移動販売車でのおにぎり販売だ。周囲の反対を押し切って、奥様(裕子さん)の協力と理解のもと、おにぎり屋は大地を駆ける。

    そして、子ども連れの家族の圧倒的な支持を得るのだ。かやもり農園のおにぎりは、子どもたちの正直な舌と胃袋をしっかりとつかんだ。

     手ごたえを感じた教之さんは、止まらない。2002年には東京に進出。赤坂に「株式会社 伝」を設立。NHKをはじめテレビ番組にも多数出演し、「ごはん炊き名人」「おむすびの先生」として有名になっていく。全国おにぎり屋ランキングでは、断トツの1位。「分とく山」の料理人野崎洋光氏、様々な分野で活躍する人たちとの繋がり、そして中越地震でのボランティア活動等、「すべてがありがたく、貴重な体験」と教之さんは当時を振り返る。

     転機は、2017年に訪れた。ステージを、東京から、新潟の「かやもり農園」自体に移すことに決めたのだ。なんとも潔い英断!「本当に自分が提供したいものを、現地で味わってもらう」というコンセプトのもと、また新たな取り組みを始める。そのひとつが、「加茂農泊推進協議会」だ。農業体験やイベント、美味しいお料理、加茂の自然、生きものたち、土、空気・・・様々なものたちがつながりあう「場(field)」をまるごと味わう。それは、かけがえのない体験になるだろうと想像する。

     目の前の教之さんは、声高に理念を語ったりはしない。「安全」「安心」「美味しい」「お客さんに喜んでもらう」という、きわめてシンプルな言葉が繰り返し出てくる。ただ、その根底には、「稲本来の生命力を尊重する」という言葉に象徴される優しい視点と、未来を担う子どもたちへの真摯な想いが緩やかに流れているのを感じるのだ。

     そして、大胆な勝負師のような、鮮やかな決断力やアイデア。一歩を踏み出す勇気。「いまここ」で、「若い頃世界を歩き駆け回った」実体験が生きているのではないだろうか。

     コロナや米価下落などの影響は、かやもり農園も受けている。だが、教之さんは、そこに屈していない。「喜んでもらえて、他にないもの、新しい商品や方法づくりを考えている」と朗らかだ。

     教之さんのフロンティアスピリット(開拓精神)は、不滅なのだった。
    そして今日も、植酸栽培コシヒカリ「伝」は、全国の食卓にのぼり、誰かの心を身体を細胞を元気にしている。

    詳しくは かやもり農園ホームページへ

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